千葉Bluefield。来るのは大学時代以来だ。この辺に来ると、ああ千葉も地方都市なんだな、と感じる。
「ハードヒット」というプロレス興行を観戦しに来た。佐藤光留という色々面倒臭いことを言うプロレスラーが色々面倒臭い「UWF」という伝説のプロレス団体の思想とスタイルを「現在進行形」として活かすため、色々面倒臭いルールで試合をしている興行だ。詳しくは彼の色々面倒臭いブログを読むといい。
ちなみにこの佐藤光留選手の文章と思想から、俺は間違いなく影響を受けている。本当に、一時期は読む度に泣いていた。
要するに、「プロレスラーは強い」ということを証明する場なのだ、「ハードヒット」は。だからプロレスラーもMMAファイターもここでは境界がない。体重差もない。そして、スリーカウントも飛び技も雪崩式もない。「格闘技」としての強さ、を測るための試すための、そして観せ付けるためのルール。それが「UWFルール」だと認識している。そして、「ハードヒット」はその流れを汲んだルールで継続的に興行を打っている、現在唯一の団体である。
そんな「ハードヒット」は、プロレス会場としては異質である。
レスラーが客席にアピールすることも少ないし応援チャントは起こらない、むしろ息を呑んで攻防を見守るのが殆ど。しかし紙テープは投げ込まれる。リングが硬いからスープレックス一発が必殺技だしも反則にはやたら厳しい(今日は一部例外あり)。
それが退屈だ、という声もわかる。俺も「これがプロレス!」とは思わない。しかし、「強さ」を測るために削いで削いでいったルールを「プロレス」として楽しめないのも、それはそれで偏狭だとも思うのだ。
俺が「ハードヒット」に感じるのは、削ぎ落とされたことで輝く、日頃見落としがちな「プロレス」の魅力だ。ちょっとした、しかし白熱したグラウンドの攻防、頭から落とされること・関節を極められることの恐ろしさ、そして勝敗の残酷さ。
それら頭ではわかっていることが、新鮮に発見・体感できる場。だから俺は「ハードヒット」に足を運ぶ。
今日も色々な発見/再発見があった。
道着の強味と弱点。頂点を獲った男の枯れない強さ。そして、藤原組長の凄味。
佐藤光留選手vs田中稔選手のセミファイナルは、制約のあるルールとスタイルの中で、その緊張感を崩さずにドラゴンスクリューや膝への低空ドロップキック(全日本分裂時に光留は全日本に残り、稔は武藤敬司のW-1へ。それ以来の再戦。これらの技は言わずと知れた武藤敬司の得意技であり、しかも対UWFで脚光を浴びた技)を織り交ぜる稔選手の、経験と技術に裏打ちされたプロレス頭に感動。
実際これらの技で試合の流れが変わり、時間切れポイント差ではあるが稔選手の勝利。田中稔選手は入場から退場までどこを切り取っても、どんなリングでもカッコ良いと観る度に唸らせられる。
一方で佐藤選手は序盤こそ攻め込むも、ペースを握られ続けたように観えた。前へ出続ける姿勢も、結果として稔選手の振幅と試合巧者ぶりが印象に残る悔しい結果に。
稔選手は試合後、闘病生活の続く垣原選手への支援と継続参戦を表明した。他の選手との絡みも観たいが、ぜひ再戦を。
メインの川村亮選手vs高山善廣選手、要するに人間vs怪獣。高田vsベイダーとかオブライトvs田村とか「無差別級U系ファイト」が大好きな俺としては楽しみで仕方なかったカード。
川村選手が得意のスピーディーな掌底で崩し、グラウンドエスケープを先取。しかし高山選手の組み付いての膝、そしてゲーリー・オブライト式フロントスープレックスの連発でダウンを取られる。その後猛烈な掌底の打ち合いになるも、高山のストレート気味の掌底打ちからニー、最後はやはりエベレストジャーマン。鼻の辺りを真っ赤に腫らした川村選手は、しばらく立ち上がることもできなかった。
終わってみれば「ハードヒット」ツートップがセミ・メインで連敗。しかしビッグネームに正面から勝ちに行き玉砕した姿には、一種の清々しさを感じた。
「生きることは、可能性。」
「生きる時、人は死なない。」
佐藤光留選手の言葉だ。
「ハードヒット」は今後、更に大きな目標を打ち出すと言う。「後楽園ホール?」との質問に、「違う会場でやりたい」と。
どこかはわからない。でも。
佐藤光留が「ハードヒット」を自分でプロデュースし始めたとき、「自分の城」と表現した。「ハードヒット」はきっと、籠城するための「城」じゃなくて、強大な敵国に攻め入るための「城」。戦うための「城」。だからその「城」が掲げる旗印も、あっと驚くそれの筈だ。だから声を枯らして応援したいんだ。
今日観戦して、そう感じた。今日の試合から、そう感じられた。